絵を描くことと、下手でやめてしまう人、描くことがない人
(※この記事は以前noteで公開した記事から転載したものです)
noteの記事はこちら→ https://note.com/neko_ga_suki/n/n78131f4eec9c
私は絵を描くことが好きだけど、何を描きたいかはわからなくなっていました。
絵が上手くなりたい、と思いながらここまでは来ましたが、絵を描くことの本質から見れば、本当に些末なことだったと思っています。
絵の本質は、表現したいことを自分の思うままに表現することで、さらに言えばそれを共感してほしい相手に的確に伝えることです。
ただ、こう書くと『相手に的確に伝える』ということは画力は不可欠では?と思う人たちもいると思いますが。
私も昔はそう思っていましたが、はっきり言ってしまえば画力が必要なのではなく、少々下手でも絵を通して『伝わる』ことが大切なのであって、それさえできれば極端な話『子どもの絵』のようなスタイル、もとい画力でも構わないのが絵だということ。
むしろ、伝えたいことが何一つ無いのに画力を上げることに固執しているのは小手先のテクニックに執着しているのと同じことです。
しかし、少なくとも絵で伝えること以外に『上手く描きたい』という色気、もとい欲がある人たちのために一言だけ言います。
通俗的な『絵のうまさ』つまりは最低限これだけ押さえておけば上手く見える『要素』というのは、『ほんの数秒だけ見ても、何が描いてあるかが分かる絵』です。
具体的な例を挙げて言うと、
・何時間もその絵を観察しなくても、自分が描いたものが猫であれば他人にも猫だと伝わる絵のこと
であり、これに必要なのは
・描きたいものの形を、他人から見て伝わる程度には描けること
・描こうとしているものの陰影を、ある程度正確につけられること
この二つ。(もしかしたら、画風によっては陰影をつけること自体がそこまで重要視されないものもあるかも)
しかし、よくニュースサイトで話題になっているような『リアルで緻密なスタイル』である必要はなく、もう少しシンプルなアニメやイラスト風のスタイルでも、もちろん伝わります。
そしてそこまでにたどり着くのに『才能』は全く必要ありません。
努力次第で誰でもそこまでにはたどり着けます
(むしろそれよりも大変なのは表現したい事柄を見つけることのように個人的には思います。個人差はありますが)
ただし、そこまでにたどり着くまでの道のりは、絵を描き始めた人や、絵に自信がない人にとってはかなり長く遠い一本道のように思えてくることでしょう。
しかし、絵の出来はともかく、描いている過程をそれなりに楽しめる人であるなら、そこで挫折して永遠に筆を折るのは、非常にもったいないことだと個人的には思います。
絵を楽しめているのなら、描くべきです。
もちろん、一時的な休養期間として『一旦やめてみる』のは悪くありません。
ただ、やっていて楽しいことを完全に手放すのは、少しばかり辛いことなのではないかと思うのです。
もし他に興味が移ったということなら、それもまたご自身の選択ではありますが。
兎にも角にも、自分の描きたいものに必要なことをひとつずつやっていけば、必ずできるようになることなので。
そして何よりも必要なのは『描きたい気持ち』と『描きたいもの』があることです。
しかしこの『描きたいもの』がない人に関しては、描きたいものが見つかるまで色々描いてみるのもいいですが、自分の描きたいものを考え直すこともいいかもしれません。
結局は自分が本当に描きたいものを描くことが大切なので。
そして私は、まだ描きたいものが決まっていないので、きっとそれを見つける旅の途中なのかもしれません。
伝えたいことに関しては宙ぶらりんで、まだまだ先は長そうですが。
本当に辛いのは、画力が伝えたいことに追いつかないことではなく、描きたいことが枯渇することですので。
長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。それでは。
ファン≠イエスマン
(※この記事は以前noteで公開した記事から転載したものです)
noteの記事はこちら→ https://note.com/neko_ga_suki/n/n00b4c5e8a7ba
色々なアーティストのファンやってきて思ったことなんですが、ファンだからって全部好きじゃないといけないのだろうか。
いくら好きでも、ファンもアーティストも同じ人間なんだからご本尊とはいえ嫌いなところの一つや二つくらいはあったりしないか?って時々思う。
(嫌いというよりは、価値観に合わないところというか)
自分の例で言うと、好きな芸能人だからって価値観に合わないところはあるし、なんならこの発言は当時とは言え大丈夫だったのか……?と思ったこともあったので。
ファンだからってなんでもかんでも盲目になれるわけじゃない。
推しのアーティストの音楽ひとつとっても、好きな作品ばかりじゃないことも多いし。
むしろ、「この歌詞は今ならアウトやな」と感じるものもある人もいるからなあ。
だからなのか「ファンだからって全部好きになる必要なくね?」と思います。
ただ、こんなことを言うと『それって本当のファンじゃなくない?』って言う人出てくるんですけど、個人的にはそういうイエスマン上等みたいな考え方だと、色々辛くなることも出てくると思うんですよね。
現に私がそうだったので。
ただ、その考え方でも人に押し付けなければ構わないとは思いますが。
そもそも好きの形は人それぞれですし。
自分の推しに対するスタンスは
・基本好きだけど、合わないところがあってもしゃーない(推しも自分も人間なので)
・(基本『好き』が前提で)嫌いが好きの割合を上回ったら(もしくはどうしても本気でダメなところが、好きなところ以上に気になり出したら)推しからは離れることにする
ですが、推しの何もかもを好きでいたい人ならこんなスタンスは必要ないのかもしれませんね。
個人的には「全部を好きでいること」を主軸に置いたらめちゃくちゃ苦しかったので。
また、自分の推しの界隈ではないのですが、ファンの方に対して「イエスマン」であることをファンではなく、アーティスト自身が求めることもあったりしますが、個人的には言語道断だと思います。
それは、アーティスト自身が良くも悪くも一人の人間なのに、ファンには完璧を求めるというのは、それこそ創作者の器じゃないなと思ってしまう……。
ファンだってあなたを好きなだけで普通の人間だよ……。
それに関してはファン同士の圧ですらおかしいと感じるのに、アーティストがやったらそりゃお終いよ。
まあ、そういうアーティストにはそれ相応のファンしかいないだろうけど。
ここまで長々と描いてきましたが、個人的に言いたかったことは、タイトルの通りです。
つまりはファンもアーティストも一人の人間なので、全部が全部好きでいられることはないから、イエスマン(つまりは、何もかもに賛同するような『信者』)であることが当たり前だと考えるのは良くないのでは?と。
もちろん、推しを好きでいるのも、推しから離れるのもその人の自由だと思うんです。
ただ、好きでいたい人に対して、『こうじゃなきゃダメだ』と一方的な価値観を押し付けるのはやめてください。
いろんな「好き」があるんです。『恋は盲目』状態の「好き」もあれば、だいぶライトな「好き」もあります。
そこは、本来なら推し本人でも介入はご法度な領域であるはず。
一介のファンが勝手に価値観を決めるもんじゃないと私は思います。
「好き」の形をもっと、自由に捉えてみませんか?
そうなれば、みんなが楽になれると思うんです。
SNSでの評価と、一喜一憂問題
(※この記事は以前noteで公開した記事から転載したものです)
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こんにちは、亜津.Mです。
SNSに投稿した絵の評価、気になりますよね。
私もその一人です。
今回は、そういった私のような人が少しでも楽になれる考え方を備忘録がわりに書いていきたいと思います。
(ただ、効果には個人差がありますが……)
絵の評価のメカニズム
SNSによって評価のメカニズムは違いますが、ここではTwitterを例に考えてみます。
まず、Twitterではいいねやリツイートがありますが、これらは一人のユーザーがそれらの項目をタップして、またそのツイートを見た人がタップして……といったように連鎖的に評価される仕組みです。
タグや絵のクオリティによっても左右されることもありますが、大抵はいいねやリツイートした人の共感で成り立つことが多いと言われます。
また、インフルエンサー的なフォロワーが多い人にそれらの反応が貰えると、拡散されやすいとされていますが、それでも絵のクオリティがある程度ないと期待は出来ません。
絵を描き始めの人などは、評価にこだわるよりも好きなものを描いたりしながらクオリティを上げる努力をした方がいいと思います。
(ちなみにそちらに関しても経験済です^^;)
いいねやリツイートは人によって重みが違う
また、いいねやリツイートは一定のしっかりした評価だと思いがちなのですが、自分の例も含めて敢えて言います。
いいねやリツイートは人によって基準がバラバラです。
というのも、自分の例ですが
・本気で「良い」と思っていいねやリツイートをする時
(例:「この絵可愛い!いいねもリツイートもしとこう!」という場合)
・少し気になった程度の時(例:「この絵、気になる」と思ってする時、もしくは「この絵師気になる」という場合)
・ちょっとしたメモやピン留め程度の時
(例:「このtips役に立ちそう、リツイートしとこ」)
と、私を例にとってもこれだけ幅があります。
そして、そのいいねやリツイートの真相は結局のところ闇の中なんですよ。
「あなたの絵が大好きなんです!」みたいなコメントでも貰わない限りは。
そう考えると評価を気にする必要はそこまでないかな、と個人的には思います。
というか、評価だとすら思わないで「ただの数字だ」と思うくらいのがいいのかなと。
ここまでのまとめ
・いいねやリツイートは連鎖的
・いいねやリツイートの重みは人によって幅がある
・いいねやリツイートはただの数字でしかなく、100%純粋な評価ではない
結局、いいねやリツイートは大した指標にも評価にもならないんですね。
それよりも私たちが考えるべきことは、
「自分のやりたいこと」や「それに見合った表現力の追求」などではないでしょうか。
本当、そんなものを気にすることなんてないです。
何回も言っててしつこいかもですが^^;
つまりは「楽しくやってればそれでいいのだ!」ってことなんでしょうね、結局のところは……。
創作する気が起きない時の、個人的処方箋
(※この記事は以前noteで公開した記事から転載したものです)
noteの記事はこちら→ https://note.com/neko_ga_suki/n/n74311fe3d9db
やばい、絵を描く気が全く起きない……。
そんな時、ありますよね。
小説や音楽、漫画などの全ての創作活動においては、こいつがだいぶネックになってる人が多いのではないでしょうか。
私はちょうど今そんな状態です。ああ辛い。
まあ、私のことはとりあえず置いときます。
そんな時、あなたはどんな行動をとっていますか?
大まかに分けて二つありますが、
1、やる気が起きないけど、まずは創作をする。
2、やる気が起きないため、創作自体はしない。
この二つになることが多いのではないでしょうか。
というか、この二つしかないような。
今回はこの二つの行動のうち、どんな状態の人がどの行動をとれば少しでも気が楽になれるかを自分なりに書いてみたいと思います。
1、やる気が出ないけど、まずは創作するに
この文章を打った瞬間、私は
それが出来りゃ苦労しねえんだよ。
そんな声が聞こえた気がしましたが、そりゃそうですよね。
ただ、試しに『少しだけのつもり』でやり始めることで徐々にやる気が出てくることも多いです。
個人的にこの方法が向いてるのは、
「肉体的にも精神的にもあまり疲弊していないが、なんとなくやる気が起きない人」
だと思います。
『やる気はあるけど、中々取りかかれないんだよね』って人におすすめです。
ただ、「肉体的もしくは精神的に疲弊している」という人にはあまりおすすめできない方法です。
なぜならこの方法は、実際に創作するわけなので多少体力とメンタルの調子が良いときではないとそのままノッていけないからです。
「疲れていることでやる気が出ない時」よりも「特に調子悪いわけじゃないし、描きたい気持ちはあるけど、なんかやる気起きないんだよねー」という人に向いている方法だと私は思ってます。
じゃあ体調もメンタルも調子悪い人はどうするの?と思った方、次に説明します。
その方法というのは、
2、やる気が出ないので、創作自体をしない
正直これしかないです。
とはいえ、これに関しては何となく罪悪感のような感情を持ってしまい、モヤモヤする人もいるのではないでしょうか。
私が正にそうです。
しかし、考え方次第で罪悪感が軽減することもありますので、それについての個人的見解を聞いて頂ければ。
そういった考え方としては、
・まずは、体調またはメンタルを回復させる時期だと考える。
・創作活動としてのアウトプットよりも、休んで好きなものに触れるインプットの時期と捉える。
1つ目の「体調やメンタルを回復させる時期」という考え方については、ちょっとした休憩期間のつもりで休んでみると良いと思います。
正直言うと、メンタルや体の調子が悪い人は休むしかないです。
というのも、スマホのバッテリーの容量で例えると分かりやすいのですが、100〜80%くらいなら何でも出来るじゃないですか。それくらいだと「俺は!何でも出来るぜ!」といった無敵状態ですよね。俺ツエーみたいな。
70〜50%くらいだとちょっと少なくなってきて、少し慎重になる状態です。「ギリ行けるか?それとも無理そうかな?」みたいな。
40〜20%だと、少なすぎて「そのままやるより絶対充電しろよ!」と言われてもおかしくないですよね。
体調が悪い人の状態は最後の、40〜20%くらいのバッテリー容量くらいしか体力気力が残ってません。
もしかしたら、10%そこらかもしれないくらい知らないうちに疲弊している可能性もあります。
スマホのバッテリーでそれくらい容量が少なくなってたら、誰でも充電しますよね?
それと同じです。
無理してやろうとするのは本末転倒になりますので、休みましょう。
ここで休まなかったら、余計疲労をこじらせてしまうということも十分にあり得ます。
休みましょう。
ですが休むと言っても、2つ目の「休んで好きなものに触れる」をすれば、休憩期間とインプットを同時に出来るので一石二鳥だと思います。
ひたすら好きなものに囲まれて、充電してください。
充電期間は必ずあなたの糧になります。時間の無駄では全くありません。
休むことで見えてくるものが必ずあります。
風邪をこじらせると治りが遅いのと同じで「創作活動が出来ない自分」という意識も、こじらせると治りが遅くなります。
治りを遅くしないためにも、休憩期間としての「創作を休む」はかなり重要です。
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さて、どちらが良さそうでしたか?
まとめると、「体調やメンタルの調子が良い人は少しやってみる」
しかし、「体調やメンタルの調子が悪い人は少し休んでみる」です。
人は皆『体調が良ければ何でも出来る!けれど体調が悪ければだいぶキツい!』そんな感じです。
この記事を読んだ方の創作活動が、より良いものになりますように。
自己紹介(テストも兼ねて)
ブログの作り直しも兼ねてます。
名前 佐伯遊
好きなもの 絵を描くこと、ネットサーフィン、音楽鑑賞。
好きなアーティスト 忌野清志郎、大友克洋、多田由美、冨樫義博、Michael Jackson(敬称略)
ただのしがないオタクでしかありませんが、どうぞよしなに。