Old Moon

好きなことを好きなだけ。

ファン≠イエスマン

(※この記事は以前noteで公開した記事から転載したものです)

noteの記事はこちら→ https://note.com/neko_ga_suki/n/n00b4c5e8a7ba

 

色々なアーティストのファンやってきて思ったことなんですが、ファンだからって全部好きじゃないといけないのだろうか。

いくら好きでも、ファンもアーティストも同じ人間なんだからご本尊とはいえ嫌いなところの一つや二つくらいはあったりしないか?って時々思う。
(嫌いというよりは、価値観に合わないところというか)

自分の例で言うと、好きな芸能人だからって価値観に合わないところはあるし、なんならこの発言は当時とは言え大丈夫だったのか……?と思ったこともあったので。

 


ファンだからってなんでもかんでも盲目になれるわけじゃない。
推しのアーティストの音楽ひとつとっても、好きな作品ばかりじゃないことも多いし。
むしろ、「この歌詞は今ならアウトやな」と感じるものもある人もいるからなあ。

だからなのか「ファンだからって全部好きになる必要なくね?」と思います。

ただ、こんなことを言うと『それって本当のファンじゃなくない?』って言う人出てくるんですけど、個人的にはそういうイエスマン上等みたいな考え方だと、色々辛くなることも出てくると思うんですよね。

現に私がそうだったので。

 


ただ、その考え方でも人に押し付けなければ構わないとは思いますが。
そもそも好きの形は人それぞれですし。

自分の推しに対するスタンスは

・基本好きだけど、合わないところがあってもしゃーない(推しも自分も人間なので)
・(基本『好き』が前提で)嫌いが好きの割合を上回ったら(もしくはどうしても本気でダメなところが、好きなところ以上に気になり出したら)推しからは離れることにする

ですが、推しの何もかもを好きでいたい人ならこんなスタンスは必要ないのかもしれませんね。

個人的には「全部を好きでいること」を主軸に置いたらめちゃくちゃ苦しかったので。

また、自分の推しの界隈ではないのですが、ファンの方に対して「イエスマン」であることをファンではなく、アーティスト自身が求めることもあったりしますが、個人的には言語道断だと思います。

それは、アーティスト自身が良くも悪くも一人の人間なのに、ファンには完璧を求めるというのは、それこそ創作者の器じゃないなと思ってしまう……。

ファンだってあなたを好きなだけで普通の人間だよ……。
それに関してはファン同士の圧ですらおかしいと感じるのに、アーティストがやったらそりゃお終いよ。

まあ、そういうアーティストにはそれ相応のファンしかいないだろうけど。

ここまで長々と描いてきましたが、個人的に言いたかったことは、タイトルの通りです。

つまりはファンもアーティストも一人の人間なので、全部が全部好きでいられることはないから、イエスマン(つまりは、何もかもに賛同するような『信者』)であることが当たり前だと考えるのは良くないのでは?と。

もちろん、推しを好きでいるのも、推しから離れるのもその人の自由だと思うんです。

ただ、好きでいたい人に対して、『こうじゃなきゃダメだ』と一方的な価値観を押し付けるのはやめてください。

いろんな「好き」があるんです。『恋は盲目』状態の「好き」もあれば、だいぶライトな「好き」もあります。

そこは、本来なら推し本人でも介入はご法度な領域であるはず。
一介のファンが勝手に価値観を決めるもんじゃないと私は思います。

「好き」の形をもっと、自由に捉えてみませんか?
そうなれば、みんなが楽になれると思うんです。